☆ブログ☆
庭日記1 雑草と私
みなさま、こんにちは。
さくら庭園の新米事務員スズキです。この春から、さくら庭園で事務員をしています。造園の仕事は、植物を扱うだけでなく土木工事仕事もたくさんあり、私はただの事務員ですが、その仕事の幅の広さにとても驚いている今日この頃です・・・
さて、社長のツルダが多忙につき、なかなかブログを更新できないと嘆いておりましたので、造園業に関しましては門外漢の私ですが、ブログアップを試みてみました。
写真はスズキ家の庭です。お気づきの方はお気づきかと思いますが、雑草しか写っておりません。この4月末に庭付き賃貸アパートに転居してはや3か月が経とうとしておりますが、いまだに雑草しか植わっておりません…
このブログをご覧になっていらっしゃる方は、大小の差こそあれ、お庭をお持ちの方でしょう。みなさん、どのようなお庭でしょうか…?スズキ家の庭のように、雑草しか植わっていない、なんてお庭の方は、よもやいらっしゃらないでしょうか。
私事で恐縮ですが、私は生まれてこのかた、庭のある家というものに住んだことがありませんでした。小さな時からずっと、「ベランダ+植木鉢」生活を送ってまいりました。そんな私が、庭というものを身近に得てみて知ったことは、”土あるところ、すなわち草生ず”という真理です。入居したての頃は、ハナニラが見えるくらいの庭でしたが、アレヨアレヨと言う間にカラスノエンドウが繁茂し、ヒメジョオンがニョキニョキ伸びてきて、あっという間に草ボーボーの庭になりました。恐れおののいていては雑草御殿まっしぐらになってしまいますので、のしのしと庭に分け入って、雑草刈りに勤しむ日々…
しかし、雑草刈りのためにしゃがみこんでいると、雑草というものが意外に美しいことに気が付きました。ツユクサの青、アカバナユウゲショウの赤、トキワツユクサの白、ヘビイチゴやカタバミの黄色…眺めていると、それはそれはかわいらしく、引き抜いてしまうのがかわいそうになるほど。雨粒に光る様子も、風情があるといえばあるような…
折しも、手にした一冊の本に、こんな言葉がありました。
”庭では、人間が植えたい植物を植え、タネをまき、きれいな花壇や菜園を作りたいと願うが、そんなところに招かれざる客として、雑草は勝手に生えてくる。(中略)もし雑草がまったく生えてこなくなったとしたら、そこは砂漠か極地のような環境になってしまったということか、化学物質などの汚染により生物の活動が困難な環境になってしまったということだろう。雑草はたいがい、どこにでも生えてくる厄介なものとして扱われる。しかし、それは見方を変えれば、この日本では人間がどんなに自然を壊しても、自然はつねに手を差しのべてくれているということ。そのとき最初に、そして一番身近に現れるのが雑草たちだ。人間が自然と共生するためには、まず雑草と良い関係を作ることが必要なのではないだろうか。”(「雑草と楽しむ庭づくり」ひきちガーデンサービス著 築地書館 2011年刊)
雑草が生えてくることを”豊かさ”と捉えると、雑草だらけの我が庭も、生きているんだなあ…ここは砂漠じゃない、生き物を育むことのできる豊かな土地なんだなあ…と、ありがたいような気持ちさえ湧いてきます。
とはいえ。
スズキ家の庭も、このまま雑草ばかりに大きな顔をさせてはおれません。ギボウシとかアジサイとかクレマチスとか…私だって、そんな植物たちに囲まれた生活をしてみたいのです。
というわけで、これからも適度に雑草を刈りつつ、共存しつつ、スズキ家の庭づくりに励みたいと思います。
おまけの写真。
ところかまわず繁茂するヒメジョオンも、こんな風に花瓶にさしてみると、思いのほか素敵です。
さくら庭園の新米事務員スズキです。この春から、さくら庭園で事務員をしています。造園の仕事は、植物を扱うだけでなく土木工事仕事もたくさんあり、私はただの事務員ですが、その仕事の幅の広さにとても驚いている今日この頃です・・・
さて、社長のツルダが多忙につき、なかなかブログを更新できないと嘆いておりましたので、造園業に関しましては門外漢の私ですが、ブログアップを試みてみました。
写真はスズキ家の庭です。お気づきの方はお気づきかと思いますが、雑草しか写っておりません。この4月末に庭付き賃貸アパートに転居してはや3か月が経とうとしておりますが、いまだに雑草しか植わっておりません…
このブログをご覧になっていらっしゃる方は、大小の差こそあれ、お庭をお持ちの方でしょう。みなさん、どのようなお庭でしょうか…?スズキ家の庭のように、雑草しか植わっていない、なんてお庭の方は、よもやいらっしゃらないでしょうか。
私事で恐縮ですが、私は生まれてこのかた、庭のある家というものに住んだことがありませんでした。小さな時からずっと、「ベランダ+植木鉢」生活を送ってまいりました。そんな私が、庭というものを身近に得てみて知ったことは、”土あるところ、すなわち草生ず”という真理です。入居したての頃は、ハナニラが見えるくらいの庭でしたが、アレヨアレヨと言う間にカラスノエンドウが繁茂し、ヒメジョオンがニョキニョキ伸びてきて、あっという間に草ボーボーの庭になりました。恐れおののいていては雑草御殿まっしぐらになってしまいますので、のしのしと庭に分け入って、雑草刈りに勤しむ日々…
しかし、雑草刈りのためにしゃがみこんでいると、雑草というものが意外に美しいことに気が付きました。ツユクサの青、アカバナユウゲショウの赤、トキワツユクサの白、ヘビイチゴやカタバミの黄色…眺めていると、それはそれはかわいらしく、引き抜いてしまうのがかわいそうになるほど。雨粒に光る様子も、風情があるといえばあるような…
折しも、手にした一冊の本に、こんな言葉がありました。
”庭では、人間が植えたい植物を植え、タネをまき、きれいな花壇や菜園を作りたいと願うが、そんなところに招かれざる客として、雑草は勝手に生えてくる。(中略)もし雑草がまったく生えてこなくなったとしたら、そこは砂漠か極地のような環境になってしまったということか、化学物質などの汚染により生物の活動が困難な環境になってしまったということだろう。雑草はたいがい、どこにでも生えてくる厄介なものとして扱われる。しかし、それは見方を変えれば、この日本では人間がどんなに自然を壊しても、自然はつねに手を差しのべてくれているということ。そのとき最初に、そして一番身近に現れるのが雑草たちだ。人間が自然と共生するためには、まず雑草と良い関係を作ることが必要なのではないだろうか。”(「雑草と楽しむ庭づくり」ひきちガーデンサービス著 築地書館 2011年刊)
雑草が生えてくることを”豊かさ”と捉えると、雑草だらけの我が庭も、生きているんだなあ…ここは砂漠じゃない、生き物を育むことのできる豊かな土地なんだなあ…と、ありがたいような気持ちさえ湧いてきます。
とはいえ。
スズキ家の庭も、このまま雑草ばかりに大きな顔をさせてはおれません。ギボウシとかアジサイとかクレマチスとか…私だって、そんな植物たちに囲まれた生活をしてみたいのです。
というわけで、これからも適度に雑草を刈りつつ、共存しつつ、スズキ家の庭づくりに励みたいと思います。
おまけの写真。
ところかまわず繁茂するヒメジョオンも、こんな風に花瓶にさしてみると、思いのほか素敵です。
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